考える音楽講師Book Of Days -音楽書籍紹介-『井上 陽水英訳詞集』 著: Robert Campbell <講談社>

Blog

『井上 陽水英訳詞集』 著: Robert Campbell <講談社>

講師の中村です。
Book Of Days #3。今回は『井上 陽水英訳詞集』 著: Robert Campbell (ロバート・キャンベル) <講談社>をご紹介します。

概要

著者は東大名誉教授で、ワイドショーでのコメンテーターとしても活躍されているRobert Campbell (ロバート・キャンベル)先生。大学生に国文学を教えているだけあって、文章が面白い!

この本はミュージシャン井上 陽水の歌の中から50曲選んで英訳した歌詞を載せています。が、ただ載せているだけでなく、日本語の散文詩特有の奥深さを再確認できる本でもあると思います。英語と音楽がテーマなのに、書かれている内容は日本語を母語にしている僕たちでさえも「不思議!」と思わざるを得ない日本語の妙味。もちろん、Robert Campbellさんがなぜそう訳したのか?という補足の解説も英語学習者としては読み応えバッチリ。本屋さんで何の気なしに手に取った僕は、この本をその場で全て読み切ってしまうほど新しい知識と出会わせてくれる本でした。

ちなみにハフポストのYouTubeチャンネルにも取り上げられていました。

音楽 × 英語 = 日本文学面白い

冒頭からなぜか”うなぎ文”の話をしはります。うなぎ文は日本文法特有の表現のことです。レストランなどで「私はカレー。」「僕はうなぎだ。」などと、動詞を省略してオーダーをすることがありますね。でもこれは「私は学生だ。」のように”私=学生”の関係を表す文章とは構図が同じでも意味が違います。

この章のタイトルは「井上陽水はうなぎだ」でした。

さて陽水さんの歌詞を訳そうと思ったわけ、それは陽水さんの歌詞世界が日本文学研究者である私から見て「松」すなわち極上のうなぎに感じたからであります。 (中略) ちょっとやそっとでは上手く翻訳できません。 (中略) 陽水さんの歌詞は私の生業である「日本文学」であり、その英訳の過程もまた日本語や「日本文学」のあり方を考えるうえでいくつもの示唆を与えてくれるものと信じています。

『井上 陽水英訳詞集』 著: Robert Campbell (ロバート・キャンベル) <講談社>, 2019, p4

このように随所に、日本語や日本文学の面白さが盛り込まれています。

日本文学研究者であられたドナルド・キーン氏がテレビで語っていたことを思い出します。
氏が若かりし日に川端康成に尋ねました。
「先生の『雪国』を訳しているのですが、実はとても困っています。この文章の主語はどこにあるのだろう、この男女の会話は何を意味するのだろう。多くの部分で曖昧なのです」
その問いに、「余白と言おうか、余剰とでも言おうか、曖昧だからこそ、逆に表情を豊かに受け止める力が生まれる。その可能性を私は信じたいのです」と川端は答えています。(「NHKスペシャル 私が愛する日本人へ〜ドナルド・キーン 文豪との70年〜」2015年10月10日)

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

『雪国』(新潮文庫)の冒頭の一節です。

『井上 陽水英訳詞集』 著: Robert Campbell (ロバート・キャンベル) <講談社>, 2019, p47

この話は結構有名で、『雪国』の冒頭については色んな考察がありますが、日本で育った人のほとんどが「トンネルを抜けたのは汽車」ととらえているのはとても興味深いことですね。そんなことどこにも書いてないのに、僕たちは知らない間に想像している。「みなまで言わない (=余白を残す)」日本らしさが感じられます。でも翻訳家からすれば、書いてないことを訳すのは難しいワケです。

この”余白”に関しては、お名前は失念しましたが別の作家さんが「日本画や日本の建築にも余白が必ず存在していて、それこそが説得力を強めている」という趣旨の文章を書いているのを読んだことがあります。(知ってる人いたら教えてください。また読みたい。)

すごい英訳

最後に50の曲の中から1つ、特に印象に残った英訳をご紹介します。1986年にリリースされた『夕立』の歌詞です。日本語には雨に関する語が非常に多いのだとか。梅雨、霧雨、小雨、豪雨、時雨、雹雨…思いつくだけでこれだけあるのだから、辞書を引けばもっとたくさん見つかるのでしょうね。夕立というと、夏の夕方に突然降る大雨のことですが (僕の地元北海道にはそんなシステムはないけど)、Robert Campbellさんはこれを”An evening cloudburst”と訳しています。知らない単語でした。でも単に”a heavy rain (豪雨)”と言うよりも「突然感」とか「大惨事感」がありますね。

この『夕立』は突然雨が降ってきてあわてふためく人々の様子を描いている歌です。

これがとても陽水さんらしいのですが、ラストのところで「夏が終わるまで 君の事もずっと おあずけ」と、最後の跳ね返りとでも申しましょうか、二人称が飛び出してきます。

『井上 陽水英訳詞集』 著: Robert Campbell (ロバート・キャンベル) <講談社>, 2019, p65

この曲はこの「夏が終わるまで 君の事もずっと おあずけ」の一節で終わります。突如登場した「君」が誰を指しているのかは置いといて、「おあずけ」を訳す際に英語で「雨天順延」を意味する単語がこの歌詞に奇跡的にハマることが判明します。

英訳して嬉しかったのは、「おあずけ」を英語ではrain checkと言うこと。 (中略) 雨が降ってその日の野外コンサートがなくなった時にスケジュールを立て直し、コンサートをもう1回開くので半券をもらいます。 (中略) 比喩として、ふつうに使います。

(中略)

雨になぞらえて「ちょっと後に」と雨でなくても使います。

『井上 陽水英訳詞集』 著: Robert Campbell (ロバート・キャンベル) <講談社>, 2019, p65

『夕立』が”雨の歌”であるからこそ、おあずけ (a rain check)がしっくりくるという、これは偶然なんですが、この締めくくりはイキやなぁ〜と感心してしまいました。


Midville’s
中村

音楽講師 / ビートメイカー

Up
H E L L O T H E R E