考える音楽講師Book Of Days -音楽書籍紹介-『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』 著: 菅野 恵理子 <ARTES>

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『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』 著: 菅野 恵理子 <ARTES>

講師の中村です。
Book Of Days #7。今回は『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』 著: 菅野 恵理子 <ARTES>をご紹介します。

今回ちょっと長いです。

概要

ザックリいうと、アメリカの大学制度や歴史をめちゃくちゃ詳細に紹介している本です。内容はハーバード大学に限定せず、誰でも聞いたことがあるようなアメリカの一流大学群の例を取り上げていて、大学における音楽教育をどのように活用しているか、が書かれています。

本書の内容はあくまでも「音楽を通じて何を得るか?」です。音楽を学ぶことが目的ではなく、手段として伝えられています。実際、アメリカではこのようなことがあるみたいです。

アメリカの一般通年として、楽器を習っていること、音楽を学んでいることは、大学入学時や一般企業に就職するさいにも考慮されるという。

『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』 著: 菅野 恵理子 <ARTES>, 2013, p39

アメリカの企業は新入社員を採用するさい、学歴だけでなく、芸術活動に関わってきた実績や姿勢も見る。企業によって芸術に対する判断基準は異なるが、少なからず指標のひとつとなっているようである。企業としては、音楽や芸術などの非営利団体への協賛や寄付が社会貢献として評価されるということだけでなく、最近では彼らをビジネス上のパートナーとしとらえたり、あるいは彼らとの関係を社員啓発教育に活かそうと考えているの例もある。

『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』 著: 菅野 恵理子 <ARTES>, 2013, p148

大学で音楽を学ぶ。そう聞くと「音楽家を目指しているの?」と思うのが一般的だと思います。「音楽なんて勉強して将来何の役に立つんだ?」と考える人も少なくないでしょう。確かに実学ではありませんからね、そう思う気持ちもわかります。

実際、日本では非音楽系学部で音楽の勉強をする機会はほとんどありません (保育系、教育系には一部ありますが)。ゆえに日本で音楽を学んでいる人は、「音楽 (関係の仕事)のために音楽を学んでいる」というのが現状です。

が、音楽は音楽のために在るワケではありません。本書に書かれているように、海外 (少なくともアメリカ)では音楽を学んだことがある人は「豊かな創造力や表現力をもっている」と見なされていますし、子供の情操教育にも音楽が有用であることは皆さんもご存知かと思います (知らなかった方は”スズキ・メソード”などで検索してみてください)。音楽は決して何の役にも立たない無用の長物ではありません。

創造力や表現力、物の見方や理論的思考を体得する手段の1つとして音楽が有用であることは僕自身も信じていますし、もっと伝えていかないといけないなぁと思います。

アメリカの大学制度が面白い

アメリカの大学制度の中で興味深かったことがいくつかあります。一つは、自分が一番学びたい主専攻 (メジャー)の他に副専攻 (マイナー)を選択することが一般的なことです (メジャー・マイナー制度)。例えば経済学部に通いながら、心理学部の授業の一部を受けて単位を取ることができる、というものです。幅広く学びたいという意欲的な学生には非常にありがたいシステムですね。

他には、1つの学部内で2つの主専攻をとることができる”ダブル・メジャー”や、2つの学部で受講して2つの学位を取得できる”ダブル・ディグリー”などの制度もあります。まぁ、単純に授業数が増えるので茨の道ではあると思いますが…。

一応、これらのシステムは日本にもちゃんとあります。ただ一部の大学のみでしか行われておらず、学部の制限も多いためアメリカほど一般的ではありません。これがもっと広まるといいですね。

また近年のアメリカでは、5年で修士号まで取得できる共同学位プログラムも増えつつあるそうです。ハーバード大学は近隣にあるニュー・イングランド音楽院と提携して、ハーバード大学で得た学位の他にニュー・イングランド音楽院で音楽修士号を取得することが可能だとか。この場合、ハーバード大学で音楽を専攻している必要はなく、例えば農学士+音楽修士というパターンもアリだそうです。

音楽学部の存在

ハーバード大学に限りませんが、海外の (主に英語圏の)有名or古参大学には音楽学部が設置されていることが多いです。例えばカナダ🇨🇦のトロント大学、マギル大学、イギリス🇬🇧のケンブリッジ大学、オックスフォード大学、シンガポール🇸🇬のシンガポール国立大学、オーストラリア🇦🇺のメルボルン大学、オーストラリア国立大学、香港🇭🇰の香港大学、ドイツ🇩🇪のルードヴィッヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン、韓国🇰🇷のソウル大学校などなど…まぁザクッと世界大学ランキングの上位100以内に入ってる大学には実は音楽学部の存在が多いです。人文科学部や芸術学部の中に音楽学科があったり、付属の音楽院を持っているケースも含めるともっとたくさんあるかもしれません。

冒頭にも言いましたが、これらの非芸術系大学における音楽学部は優れた音楽家を育てることだけが目的ではなく「音楽を通して何を得るか?」という大義名分があります。要するに音楽が持つ潜在的な力をどう自分に役立てるかがポイントになっていて、音楽大学とはまた違った理念をもとに指導しています。だからと言って音楽の授業のレベルが低いということもないみたいで、本書によれば音楽専攻かそうでないかに関わらず優秀な音楽家も輩出しているという実績があります。

非音楽系の学部生たちは、音楽学部の授業を副専攻やダブル・ディグリーの制度を用いて自由に受講することができるのです (逆もあります)。

このように総合大学に音楽学部が存在する背景には、西洋でリベラル・アーツ教育が重要視されていることがあると考えられます。リベラル・アーツは平たくいうと”一般教養となる7つの学問”のことです。実学ではありませんが、古代ギリシャの時代から「人が自由にそして豊かに生きるために必要な考え方を示してくれる」と伝えられています。日本の大学でもリベラル・アーツの重要性が盛んに言い立てられることが増えてきましたね。

リベラル・アーツは大きく”言語”と”数学”の2つに分かれるのですが、この”数学”の中に音楽があります。音楽は、理系学問だったのです。(この件に関してはいずれ詳しく。)

大学側はリベラル・アーツを学ぶことがいかに重要かを知っているからこそ、音楽を推奨していることがわかります。

音楽を学ぶ意味とは何か?

アメリカの各古参大学における音楽授業とその意義に少しスポットを当ててみます。※大学の画像は検索して出てきた適当なものです。

例えばコロンビア大学では音楽に関する授業が全学生の必修授業として組み込まれていて、講義を受け、生演奏を鑑賞し、さらには批評やディスカッションを行います。楽器のレッスンを受ける機会はないそうですが、音楽史を人文科学の枠組みで学ぶことで、音楽に表現されている人の思想や発想力を知ることができるとしています。

スタンフォード大学では楽器演奏の授業や作曲の授業を通じて、「自ら考え、創造する」ということを期待しています。

ニューヨーク大学では芸術社会学的な授業を展開しています。音楽に限定せず、映画や絵画、文学などあらゆる芸術作品を鑑賞し、「人はなぜそのように考え、表現したのか」「それが社会にどのような影響を与えたか」という視点で学んでいるそうです。

カリフォルニア大学バークレー校においては人文学部の必修科目に音楽の授業が複数あります (人文科学部の中に音楽学科も存在します)。この大学ではリベラル・アーツ教育を重要視することで「自分の専攻分野をより広い文脈の中で捉えることができるようになる」と謳っています。

特に面白いのはマサチューセッツ工科大学 (通称MIT)。機械工学や数学、コンピューター・サイエンスなどを学んでいる理系の学生が大半を占めるこの大学では、音楽の授業を通じて表現能力や技術を高めることを目的としています。ここでもやはり音楽の授業は必修となっています。音楽の授業だけで600科目ほどあるらしく、その中から必要な単位分を選択するそうです。

内容はクラシック音楽史から、記譜法 (譜面の書き方)、即興演奏や電子音楽の作曲法など、非常に幅広い内容で開講されています。機会があれば著者・菅野 恵理子さんが書かれた別の著書『世界最高峰の「想像する力」の伸ばし方 MIT (マサチューセッツ工科大学) 音楽の授業』を紹介しますので、その時に詳しく。

ハーバード大学の音楽教育

この本のメインテーマとなっているハーバード大学の音楽教育についてですが、一般教養科目の「美学的・解釈的理解」のカテゴリの中に芸術関連科目があるそうです。アート全般を取り扱うため、音楽はその中のさらに一部となります。授業はたくさんあり、「アメリカのミュージカルとアメリカの文化」「アフリカとアフリカ系アメリカ研究 ー ジャズ、自由、文化」「音楽、心、脳」「文化と信仰 ー 音楽、討論、イスラム」などといった講義名が付けられていて、内容は音楽鑑賞やパフォーマンスだけでなく、音楽理論から音楽心理学など多岐に渡り、様々な文化的表現を理論的かつ批判的な解釈することを重視しています。

情報量がすごい書籍でした

情報量がめちゃくちゃ多い本でした。各大学のカリキュラムや音楽の教え方の違いを比較して、学生が音楽から何を学んでいるのかが書かれています。これでもか、というほど詳細に…。

ただ、筆者がそれだけの情報を持っていながら、それを踏まえて何を考えているのかは書かれていません。その上、タイトルにもある肝心のハーバード大学のことについてもそこまで深く触れられていません。あくまでも各大学の音楽教育を比較し”総論”として書かれた感じ。(タイトルは出版社が考えたのでしょうか…?なんか筆者の伝えたかったこととは少しズレているような気がしました。) ハーバード大学のことを知りたい人にとっては物足りなさがあるかもしれません。

また個人的には、淡々と事実や歴史を並べたドライな文体が苦手なのと、面白そうな小節のタイトルを見つけても着地がふわっとしていたり、話の方向性が分散して読みづらく感じるところは多少ありましたが、この幅広く徹底された調査力にものすごい情熱を感じました。300ページ、お腹いっぱいです。

Midville’s
中村

音楽講師 / ビートメイカー

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