
教えるの話
講師の中村です。
教えるの話。
「教えるコツはなんですか?」
最近こんなことを聞かれた。残念ながら返せる言葉がなかった。教えることに”これさえしとけばOK”という特効薬がないから。
自分のケースではたいてい実践→解説の順で教える。動き方を先に説明して、なぜそうするのかとか、細かい説明はあと回し。

自分ができたことが、何を意味しているかを解説した方がスーッと頭に入ってくるもの。それでもつまづくなら、「こーゆう工夫してみて」と提案すればよい。塾で働いてた頃から、今の音楽レッスンでも基本的な流れは同じ。
じゃ、教え方さえちゃんとしていれば、教育や指導は必ず成立するのかと言われたらそーゆうワケでもない。教え方をどれだけ工夫しても体感的に2割くらいしか効果がなくて、残りの約8割は相手との関係性だ。
個人的に指導論とか教育心理学は興味ある分野だから専門書を読んだり研修会に出て勉強したつもりだけど、学べば学ぶほど”コレだ”という答えとは出会わない。教わる側も人間。大なり小なりクセや違いはあるので、そんなものは人によって変えればいいと思うかもしれないが、指導者の中にそんな器用な人間がどれだけいるかという話。言うは易し行うは難し。結局たどり着いたのは知識とかテクニックとかじゃなくて、人間関係の構築とかその場の空気作りも含んだ、もっとマインドセットレベルの話。

レッスンだろうが授業だろうが仕事の研修だろうが、効率よく指導をしたいのであれば、教わる側が「発言しやすい空気」とか「ミスをさらけ出しやすい空気」を作ることは任務の1つだと思う。
「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ
話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず
やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず」
これは昭和の軍人の言葉だが、人材育成についてこれほど端的に説いている言葉はないかもしれない。特に最初の一行は塾講師時代からずっと指標にしている言葉だ。
教える場面で恐怖や暴力を安易に使用する者が今も少なからずいるが、まぁ繁栄はしない。むしろ、教える側はちょっとナメられてるくらいの方が、相手の警戒心を解けるしこっちも気が楽だ。

色んな人間性に対する寛容さも大事。稀に”俺は指導者様だ”という勘違いをする連中がいて、人間性まで変えてしまおうとするみたいだ。そのコスパの悪さに気づかない時点で終わってるが、こーゆうのは関係性が出来上がってないと効力がないからどれだけいいことを言っても自分が損するだけだ。自分と違う人間を受容する力も、教える人の才覚。
怒られたくない性格の人は、ちょっとした注意さえも極端に嫌がる。誰だって怒られたくないのは当たり前だが、かといって怒られないように頑張ることもないから、自己防衛のために「それは自分のミスじゃない」と言い出したり、些細なことさえも隠蔽したり、最終的に分からないクセに分かった顔をするようになる。冷たい言い方だが、そんな人は明らかに問題があって。まぁ未来ある中高生なら熱が入ってしまうこともあるが、それで20年以上生きてる人間を変えるのは、少なくとも「現時点では自分の仕事じゃない」と思っておいた方がいい。

相手との十分な関係性がないのに「あなたのこーゆうところがダメ」「あんなことはするな」と言われても、反発心が芽生えてしまう気持ちは分からんでもない。だから「次からこうしてね」「報連相はちゃんとしてね」という注意を言葉通り聞いてもらうには、「この人の言うことだから聞いておこう」と思ってもらえる関係性を作っておくことが大事だと思う。
「コツなんてない」と言い切ってしまうのは鮸膠も無いように聞こえるが、教えることに効率性を求めるとテクニックとかそーゆう話じゃなくなってしまう気がした。
Midville’s
中村
中村
音楽講師 / ビートメイカー