
理論を超越した意味不明なジャンル
講師の中村です。
今回は現代音楽という音楽ジャンルについて、皆さんが”引かない程度に”ご紹介していこうと思います。現代音楽と聞くと、流行的でモダンな大衆のための音楽をさす用語に聞こえますが、実際はそうではありません。むしろ逆です。「これは音楽なのか…?」と疑いたくなるような理解不能なジャンルです。同じ意味の言葉として前衛音楽、実験音楽などと呼ばれることもあります。
何のために在るのか?
さすがに「現代音楽だけが好き!」という人に出会ったことはありません。でもこのジャンルには新しい表現や既成概念にとらわれずに自由に音楽を創るためのヒントがたくさん落ちています。
ただ現代音楽を一括りに「こういうもの」と説明することが難しいです。まぁ…強いていうならば全ての理論や物理的な法則から音楽を解放して、「”ルールなし”というルール」で音楽を作るということだと思います。では何のためにそんなものが音楽に存在しているのか?これは僕なりの解釈なので異論は認めますが、そういった型破りな作曲というのは、型を知り尽くしていないとできません。つまり言い換えると、音楽がいかに理論的で整合性の取れた人工物で在るかを教えてくれるのは、現代音楽のような無秩序な作品であるということだと僕は解釈しています。既成の型を否定的媒体にしつつ、より革新的な提案がそこにあるワケです。
僕は人からお金をもらっている指導者であり作り手でもありますから、こう言ったジャンルを「逆張りだ」とレッテルを貼っていとも簡単に退けることはしません (その行為に生産性が全くないので)。こーゆうジャンルについては考えれば考えるほど、自分がどれほど浅はかだったかを知るキッカケになります。
ということで、今回はちょっと軽めの現代音楽をいくつか紹介していきます。
何も弾かない作品『4分33秒』

現代音楽と言えばJohn Cage (ジョン・ケージ)。まずはここから始めようと思います。音楽家でありながら音楽が持つ”当たり前”を常に疑い批判してきた彼の最も有名な作品『4分33秒』は「4分33秒間、何も弾くな」という指示によってパフォーマンスされているれっきとした曲です。なんと3楽章もあり、ボリューム満点。でも終始休符です。

John Cageが無響室 (全く音が響かない防音室のような場所)に入った時、自分の心臓の音が聞こえたそうです。彼はそれで”無音”を聴くことは一生できないと悟ったと同時に、それも音楽であると考えました。生でこの曲を鑑賞する際も観客が動く音、咳払いなどがどうしても聞こえます。しかも何も演奏していないのに、誰もが会場で無作為に流れる環境音に耳を澄ますのです。人が耳を澄ませた時点で、これは何かしらの音楽であるのだと…。ん〜ちょっと難しくなってきました。
「こんなものは発想勝ちだ」と思われそうですね。いや、そうなんです、発想勝ちなんです。だってJohn Cageは「これも音楽だ」と言っているのですから、根本的な定義が我々一般人とは全然異なります。でもこの曲 (?)によって多くの識者や演奏家が「音楽の定義とは何か?」を考えるキッカケになったことは間違いありません。
完奏するまで639年かかる『ASLSP』
タイトルの『ASLSP』はAs SLow aS Possible (アズ・スロー・アズ・ポッシブル: できるだけ遅く)の意味だそうです。この曲はもともと「できる限りゆっくり奏しなさい」という指示があるだけで、実際にはどの速さで弾いても自由なんです。が、John Cageが他界した後に発足したプロジェクトにおいて、この曲を639年かけて弾こうということが決定され、2001年からドイツにて演奏されています。演奏が終わるのはなんと2640年。John Cage本人の意思で639年も演奏しているワケではなさそうです。
この曲はギネス記録に認定されている音楽の中では最も長い楽曲ですが、この『ASLSP』と同時期から演奏が開始された『Long Player (ロング・プレイヤー)』という曲は、演奏を終えるまで1000年、弾き終わるのはなんと2999年と言われているにもかかわらず、現時点 (2023年5月)ではギネス認定はされていないようです。
639年かけて演奏されている『ASLSP』は、おおよそ1拍につき1年程度の時間をかけていますが、YouTubeを探すと8時間に短縮演奏している動画を見つけました。一応共有しときます (ノーカットです)。
この作品にも彼の反逆的な思想が色濃く現れているのですが、彼は自身の著書『サイレンス』の中で「感情をアウトプットするために音楽があるのではない」「音楽が3拍子や4拍子である必要性はない」などと述べており、音楽の”当たり前”に抗うような姿勢が感じられます。
皆さんはこーゆうスタンスをどう感じますか?僕は秩序がなくなった状態を「自由」だとは思わないです。でも、既成概念にとらわれすぎるのも不自由だと思います。そこから脱却するのは、彼のような”いきすぎた意見”の一部を都合よく取り入れて血肉にしておくことだと思います。
キーを指定しない無調音楽

John Cageの大学時代の先生にあたるArnold Schönberg (アルノルト・シェーンベルクもしくはアーノルド・ショーンバーグ)という人物は、20世紀初頭から調性 (キー)を放棄するという試みをしてきた音楽家です。音楽にはキーが必ずあって、これがあることによって使って良い (あるいは使うと気持ちが悪い)音やコードなどが決定しますが、キーを放棄すると言うことはすなわち特定の音に解決せず、ドからシまでの(シャープ/フラットを含む)12音全てが同じ価値を持っているメロディを意味しました。これを十二音技法と言うのですが、Arnold Schönbergはこのテクニックを使って多くの曲を作りました。
実は十二音技法で作られた曲が、ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズのボス戦のBGMとして使われています。視認性バツグンのYouTube動画を見つけたのでここに貼っておきます。
12音だけでなく、16分音符から付点2分音符まで、全音符以外のあらゆる音価を使っている点も面白いです。
ところで、よく勘違いされるのですが十二音技法と無調音楽は必ずしも同じものを指しているとは限りません。十二音技法はキーがあっても (調性的でも)部分的に成立させることができます。…が、無調は本当にカオスです。ピアノを全く弾けない人が適当に鳴らしているような風にも聞こえます。例えばこんな感じ。
十二音技法や無調音楽を使って楽しい曲を作ることはどうやら無理みたいです。楽しくしようとすればするほど、かえって不気味にもなります。調のある星に生まれて本当によかったと思います。
そもそもなぜArnold Schönbergは調性の放棄を試みたのでしょうか。19世紀の音楽は「風景を描写する音楽 (=印象主義)」が主流となっていて、20世紀に突入するあたりでそれを否定する勢力が現れます。それが「音楽は感情を描写するものだ! (=表現主義)」と主張した人たちで、その中心的存在がArnold Schönbergdでした。印象主義にとってかわって表現主義がトレンドになり、そういった人たちが感情をアウトプットするのに適していると考えたのが”無調音楽”だったのです。
このように近現代の音楽は、ノーマルとアブノーマルが繰り返される時期がありました。21世紀はノーマルとアブノーマルがギリギリ共生できているのではないか、と僕は見ています。
最後に、ギターの現代音楽
キューバ人ギタリスト / 作曲家のLeo Brouwer (レオ・ブローウェル)による『Paisaje Cubano Con Campanas (パイサヘ・クバーノ・コン・カンパーナス: 鐘のなるキューバの風景)』と言う曲です。いつだったか、先生が課題曲としてこの楽譜を渡してくれたことがありました。譜面を見ただけでは音の配列や展開をイメージすることはできませんが、一応それぞれに意味があって、先生は終始「風景を描くように弾きなさい」と言ってました。最後のハーモニクスだけで弾くセクションは「きっと鐘の音なんだろうな…」と思えるのですが、それ以外の部分はもう理論や経験則では説明がつかない世界で、難しいしもどかしいんですが、ここまで振り切った曲をやったおかげで、可能性に対して寛容になれたので、曲作りやアレンジをする時に思い切りが出るようになりました。ちなみにLeo Brouwerの曲は他にも数曲やりましたが、これを人に教えられる力は僕にはありません。
は〜なんかこの記事書くの疲れました。どれくらい伝わってるのか、手応えがないからです。
それでもやはり拒否反応が出る人はいると思います。きっと「音楽は人を楽しませるために存在しているのであり、またそれは”ドレミ”で作られたものでなければならない」という既成概念にとらわれやすいタイプかも知れません。安心してください。それは普通のことです。面白いのは、こういった音楽に意味を見出したがる僕のような人も、「普通じゃないから退屈だ」と言って退ける人も、どちらも”普通でいられることの良さ”を共有しているという点。
直近20-30年を振り返っても、彼らのような試みが盛んに行われた記録に目立ったものはほとんどありません。それは音楽がそれ単体で進化し続けているからではなく、みんながキレイなものだけを欲しがるようになったからだと僕は考えています。
なぜキレイなものだけを欲しがるのか?それは現代人が汚れているからです。あざした。
Midville’s
中村
共有:
中村
音楽講師 / ビートメイカー
“Finger Pickers Took Over The World” (Chet Atkins with Tommy Emmanuel)
ある師弟ギタリストのコラボ作品