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無駄の話

ギター講師の中村です。
無駄の話。

人に対して「きっと頭は良いんだろうけど、なんか未熟だなぁ…。」と思う瞬間がある。僕をして未熟と言われることは決して名誉ではないから、なおした方が良いのではないか。まぁ、なおらなくても僕は困らないから良いけど。

 

自称”スマートに生きていきたい人”は些細な無駄をも効率化したがる。例えば、SNSである人の投稿が目に入った。「調べれば済むことをわざわざ聞いてくる奴は無能だ。」と。まぁ仕事でそれをされると困るケースがあるのは分かる。でもそうでないなら単にコミュニケーションを取りたがってるだけッてこともあるだろう。「無能だ」と思うのは自由だが、不用意に攻撃的な意見を触れ回るのは未熟に見える。

確かにその投稿が言うように人間関係のほとんどは”非効率”とか”無駄”の集合体である。それに異論はないのだけど、人間関係を効率化することは可能だとしても全然面白味がない。

近頃「無駄な人付き合いはやめよう!」とか「人間関係の断捨離」みたいな喧伝をよくみかける。もちろん心的に負担になっているものは切り捨てればいいが、負担を恐れて交流を控えたまま過ごしたって不器用になっていくだけだし、断捨離したとて時間を有効に活用できるとは限らない。”遊び”がない人ほど退屈な人間はいない。つまり何もないよりは無駄を面白がって生きる方がいい。

人なんて無駄だらけだ。僕なんか布団に入ってから興味本位でGoogle Earthを開いては何時間も海外旅行をして、気がついたら朝になっているなんてことが年に2-3回はある。自分だけじゃない。飲み屋で偶然知り合ったオッサンは昔話が長いし、さっきまで楽しく過ごしていた恋人はホルモンバランスが乱れて突然泣き出すし、古い友人は毎回絶対に時間通りに現れない。口を隠しながら小声で話すオバハンとか、大人相手にスケールの小さい自慢話してくる大学生はもうイライラを通り越して可愛くなってくる。人間の無駄など挙げればキリがない。

でもこのやりとりの中に、彼ら自身を表している要素がある。これが全てなくなったら、人間は無機的で退屈だ。だから”非効率”とか”無駄”というのは言うほど悪ではない。少なくとも僕はそう考える。”徳孤ならず必ず隣あり”だ。いちいち無駄だと無能だと言い回る方がよっぽど時間を浪費している。…が、まぁ、それが彼ら自身でもある。

 

いずれ分かる時がくるといいね。

 

Midville’s
中村

音楽講師 / ビートメイカー

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