「守破離」とは何か?千利休に習う、学びの精神

講師の中村です。
「守破離」とは何か?千利休に習う、学びの精神。

大昔から日本では芸事の鍛錬について「守破離」という精神論があります。精神論という言葉は現代ではあまり好まれない言い方かもしれませんが、まぁ、字面だけにとらわれたり頑固なアイデンティティは捨てて、気楽に読んでもらえればと思います。

目次

    「しゅはり」と読みます

    この守破離という言葉は茶人・千利休 (せんのりきゅう)の教えに由来します。

    規矩作法 (きくさほう) 守りつくして 破るとも 離るるとても 本 (もと)を忘るな

    この言葉は「まずは先人たちから受け継いだものを守りなさい。それをベースにして型を破りなさい。型から離れて、オリジナルを確立をしてこそ、一人前である。」といったような、何かを習ったり学んだりする時に大切なマインドセットを示しています。

    僕が学生の時にやっていた空手の師範が教えてくれた言葉でした。基本稽古が嫌いだった僕に、基本の大事さを教えるためにこの言葉を引用したみたいです。

    我流を捨てる素直さを持つ

    ギターやウクレレは、他の楽器と違って基本がなくても弾くだけならある程度のところまではいけるんです。でも我流で続けているといずれどこかで頭打ちになります。その時になってから基本に立ち返ろうったって、もう修正が効かないほどクセが染み付いてしまっていることもあります。そうなると自分を変えることさえストレスになってしまいます。レッスンではそのクセを上手く利用できるように仕立てることもありますが、上達の邪魔をしているならば我流をいつでも手放せる素直さ、柔軟さを持っておくことも大切です。

    “型破り”と”型なし”

    型破りというと破天荒なイメージがあってカッコイイですが、実際にはドップリと型にハマッた人でないと型を破ることはできません。つまり型破りとは、うんざりするほど基本をやり尽くして血肉にした人のことを言います。

    一方で、型を知らない人を型なしと言うそうです。「型にハマるのはダセェんだ、俺ぁ最初から自己流だ」と基礎を軽んじた思考は自由ですが、少なくとも僕の考えとは大きく異なります。

    何事も柔軟に

    他にもこんなものがあります。

    炭置くも 習ひばかりに かかはりて 湯のたぎらざる 炭は消え炭

    要約すると、炭の置き方にもセオリーはあるが、決まった手順通りにやってもお湯がちゃんと湧かなかったらなんの意味もないよ、と言っています。つまり基本というのは、目的達成のために存在しているのであり、基本のマスターそのものが目的になってはいけないよ、ということと解釈できまあす。ものごとは柔軟に考えましょう。

    教えを”破る”とは?”離れる”とは?

    抽象的な言葉なので如何様にも解釈ができると思いますが、千利休の言葉にはこんなものもあります。

    習ひをば ちりあくたぞと 思へかし 書物は反古 腰張にせよ

    少々言い方は荒いですが「習ったことをゴミだと思え」と教えている言葉です。テキストは腰張 (和室の土壁に貼る壁紙)にでもしてしまいな!という大胆な物言いです。テキストの束縛から解放されるには、「教えられたものを疑い、自分で考えること」が大事かもしれません。

    自分にしかできない何かを手に入れて、オリジナリティを確立することができたら、それはもう教えを離れていると言っていいと思います。

    千利休の言う”稽古”とは

    稽古とは 一より習ひ 十を知り 十よりかへる もとのその一

    稽古に終わりはありません。そーゆう教えです。いろんなこと ()が分かるようになった時、初心 ()に帰れるか。

    もう1つご紹介します。

    その道に 入らんと思ふ 心こそ 我身ながらの 師匠なりけれ

    「とにかくやってみよう」という気持ちこそが、一生寄り添ってくれる師匠ですよという話。

    教えるプロは学びのプロであるべきと僕は考えています。何かを得る時でさえも誰かの手本となれるよう、日々精進して参ります。

     

    Midville’s
    中村