講師の中村です。
大昔から日本では芸事の鍛錬についての「守破離」という精神論があります。精神論という言葉は現代ではあまり好まれない言い方かもしれませんが、まぁ、字面だけにとらわれたり頑固なアイデンティティは捨てて、気楽に読んでもらえればと思います。
目次
「しゅはり」と読みます
この守破離 (しゅはり)という言葉は茶人・千利休 (せんのりきゅう)の教えに由来すると言われています。
規矩作法 (きくさほう) 守りつくして 破るとも 離るるとても 本 (もと)を忘るな
千利休
この言葉は「まずは先人たちから受け継いだものを守りなさい。それをベースにして型を破りなさい。型から離れて、オリジナルを確立をしてこそ、一人前である。」といったような、何かを習ったり学んだりする時に大切なマインドセットを示しています。
僕がこの言葉を知ったのは学生の時にやっていた空手道場の師範からの言葉でした。当時の僕は基本稽古が嫌いで組手 (スパーリング)ばかりしたがったのですが、先生からはいつも「せっかく上手なんだから、基本稽古をサボるなよ」と言われており、それでも先生の言うことをきかなかったので「守破離」について説教されたんです。「お前の戦い方には基本を感じない。手足は出ているが効かせ方が分かってない。基本の詰めが甘いから有利に試合を運べないんだ。」と。
先生は普段着だととても強そうには見えない、痩せ型の優しそうなおじいさんでしたが、先生より若くて大きい僕が10分立てなくなるパンチを持っていました。基本とはこーゆうことなのだと思いました (思い知らされました)。
我流を捨てる素直さを持つ
ギターやウクレレは、他の楽器と違って基本がなくても弾くだけならある程度のところまではいけるんです (クラシックには明確な型が存在しますが)。
でも我流で続けているといずれどこかで頭打ちになります。その時になってから基本に立ち返ろうったって、もう修正が効かないほどクセが染み付いてしまっていることもあります。そうなると自分を変えることさえストレスになってしまいます。レッスンではそのクセを上手く利用できるように仕立てることもありますが、上達の邪魔をしているならば我流をいつでも手放せる素直さ、柔軟さを持っておくことも大切です。
“型破り”と”型なし”
型にハマりすぎるのはよくないとよく言われます。その通りです。でも型ッて強みになるんです。なので「あとあと抜け出すことを前提に一旦ハマッてみる」のがオススメです。やってみると分かりますが、実際に型にドップリ浸かるのは難しいです。
型破りというと無骨で破天荒なイメージがあってカッコイイですが、これちゃんと型にハマッたことがある人でないと破ることはできません。つまり型破りとは、うんざりするほど基本をやり尽くして血肉にした人のことを言います。こーゆう人はめちゃくちゃ強いし、人を魅了する力を持っています。
ということは「型にハマるな」と言って基本を教えない先生は、あまりいい先生ではないかもしれません。そんな人いないと思いますが。
そのように型を知らない人のことは”型なし”と言うそうです。「型にハマるのはダセェんだ、俺ぁ最初から自己流だ」というスタンスです。少なくとも僕とは考え方の異なる人たちですね。天才ぶっても長続きしないですよ。それより地味でいいのでコツコツやる方がサステナビリティあります。
“破”は「何事も柔軟に考えよ」ということ
教えを”破る”とは具体的にどーゆうことか、それを端的に表しているのはこの句だと思います。
風炉濃茶 必ず釜に 水さすと 一筋に思ふ 人はあやまり
千利休
風炉の濃茶では必ず水を一杓 (1しゃく)さすものだと思うのは間違いであると説いています。これは言い換えると、教わった基本をいつなんどきも守るのはよくないということ。僕はお茶のことは全くわかりませんのでギターに置き換えますと、「スタジオでのレッスンでアンプのボリュームを3にしているからと言って、発表会当日も広い会場でボリューム3のままにするのは間違い」と言っているのと似ていると思います。
要するに、柔軟な考えを持ちなさいという教えです。もう1つ紹介します。
炭置くも 習ひばかりに かかはりて 湯のたぎらざる 炭は消え炭
千利休
これは「炭の置き方にもセオリーはあるが、決まった手順通りにやってもお湯がちゃんと湧かなかったらなんの意味もないよ」という教えです。
基本というのはあくまでも”目的達成のため”に存在しています。基本のマスターそのものが目的になってはいけないよ、ということです。時と場合によって柔軟に対処する、それが教えを”破る”ということの意味です。
”離”とは「自分で考える」こと
教えから”離れる”という言葉に関しては、このような言葉があります。
習ひをば ちりあくたぞと 思へかし 書物は反古 腰張にせよ
千利休
「テキストなんか、ちぎって和室の土壁に貼る壁紙にでもしてしまいな!」という大胆な物言いです。教わったことの束縛から解放されるには、「教えられたものを疑い、自分で考えること」が大事、ということです。さっきの濃茶や炭の話にも通じます。
「先生はこう言ってたけど、もしかして違う方法があり得るのでは…?」
「これらを組み合わせると、全く新しいものができるのでは…?」
こうやって自分で何かを見つけるのです。また考えることによって自分にしかできない”何か”になり、オリジナリティを確立する。その域まで来たら、それはもう教えを”離れている”と言っていいと思います。
千利休の言う”稽古”とは
稽古とは 一より習ひ 十を知り 十よりかへる もとのその一
千利休
この言葉は、例えば3年かけてレッスン内容を一周したとしても、結局は基本に立ち返る、そんなことを言っています。
塾講師として働いていた時、進学校や難関大学に受かった子のほとんどは”同じ参考書を何回もやる”を愚直に繰り返していました。それが数学であってもです。落ちる子の多くは「このテキストはもう答えを知ってるから2回やっても意味ない」と感じています。
鍛錬にも、学習にも、稽古にも、終わりはありません。そーゆう教えです。いろんなこと (十)が分かるようになった時、もう一度初心 (一)に帰れますか?十を知っても一二三を忘れるようではあきませんよという話。
もう1つご紹介します。
その道に 入らんと思ふ 心こそ 我身ながらの 師匠なりけれ
千利休
これは「とにかくやってみよう」という気持ちこそが、一生寄り添ってくれる師匠ですよという話。いい言葉ではありませんか。僕の尊敬するJoe Pass (ジョー・パス)というギタリストの教則本にも書いてありました。「経験こそが最高の教師だ」と。
守・破・離という考え方は学び方を整理するのにとても有効ですが、長いギターライフを3段階に区切っている手前、「なかなか”守”の段階から抜け出せない」という人たちを生み出しやすいマイナス点もあります。なのであまり「守破離」のシステム (精神論)に照らし合わせすぎないのがいいと思います。実際はちゃんと皆さん上達していますから大丈夫です。いずれ「破」「離」へ進んでいきますし、その過程そのものが演奏の面白さになっていきます。
また、教えるプロは学びのプロでもあります。僕も人から何かを教わる時は、その学び方が誰かの手本となれるよう、日々精進して参ります。
Midville’s
中村
