絶対音感は生まれつきじゃない?神格化された能力の誤解と知られざるデメリット

ギター講師の中村です。
今回は絶対音感にまつわる話です。

先に言っておきますが、絶対音感は魔法の能力ではありません。この記事でみなさんが漠然と抱えている絶対音感に対するイメージがほとんど誤解であることを解説します。夢を壊すようなことを今からたくさん言うかもです。腹くくってください。

目次

    絶対音感によって「音楽家として秀でる」のか?

    皆さんがイメージする絶対音感は、歌のメロディを音名でスラスラ言えたり、日常の雑音が全てドレミで聞こえたり、パチンと手を叩いた音さえも何の音名かが当てられる、みたいなものだと思います。中にはそーゆう人もいますが、実は全員がそうではありません。

    まず、絶対音感を定義すると「比較なしで音を当てられる」ということ、この1点です。でも比較なしで音を当てられる人がみんな絶対音感を持っているとは限りません。単に音感をガッチガチに鍛えた人なら、比較せずに音を当てることができるようになります。

    絶対音感に対する最もポピュラーな誤解は「絶対音感があれば音楽家として秀でる」というもの。これは残念ながら関係ありません。絶対音感はあくまでも「比較なしで音を当てられる」というだけの話であり、そこから先の音楽的な表現力や演奏力は別です。例えばメロディの耳コピをする時の精度は少し上がるかもしれません。が、勝手に歌が上手くなるワケでもなければ、演奏技術が向上するワケでもありません…。技術は技術、能力は能力です。

    比較なしでコーヒー豆の産地を当てることができる人は、最高のコーヒー豆を栽培できるでしょうか?それは味覚が優れていることを証明するでしょうか?いいえ、ただ産地クイズが得意なだけです。それ以上でもそれ以下でもありません。

    本当に役が立つのは、ピンポイントで何かを当てることではなく”違いが分かること”ではありませんか?

    違いが分かる”相対音感”

    先ほどのコーヒーの例を使うと、産地を言い当てられるのが絶対音感ですが、味の違いを説明できるのが相対音感です。「マンデリンはモカコーヒーより苦い」「ケニアのコーヒーはフルーツのように爽やかな風味がある」といった具合です。

    ただ「比較なしで産地を言い当てられる人」と何が違うかといえば、産地を当てられる人は最初に「この味はブラジル、この味はキリマンジャロ…」といった形の刷り込みをされている点です。

    絶対音感も同じで、幼少期に「これがドで、これがレ…」という風に教わっています。子供は何かを考えるときに比較をしません。だから絶対音感は子供のうちにしか身につかないんです。だから当然、ドレミを教えた時に使ったピアノのチューニングがズレていたら、その子供は間違ったドレミを比較なしで当てる子に育ってしまいます。

    それに対して相対音感を持っている人は「1つの音だけではそれが何の音かは分からないけれども、2つの音があればその音がどう響き合って、それがどれくらい離れているか」を理解できます。カラオケでキー変更しても問題なく歌える現象も、まさに相対音感です。

    “比較なしで音が分かる絶対音感”と、“比較すれば音が分かる相対音感”、これがそれぞれの特徴です。

    絶対音感は幼少期のトレーニングが鍵!生まれつきはありません

    先ほども少し書きましたが絶対音感は原則として幼少期に音感の訓練によって身につきます。身につけたい場合はだいたい3歳から7歳までのシンデレラ・タイムにトレーニングをする必要があります。それ以降でも絶対音感を習得する例はありますが…可能性は1割未満とかなり低いです。(超ハードです。)

    大人になると、色々な要因を比較して推測し、答えを導き出すことができるようになりますが、子供のうちはそれができません。なのでそれぞれの音に「ド」「レ」「ミ」などのラベルを貼って引き出しにしまわせておくのです。その引き出しは大人になっても使えますから、ずっと音感は身についたままにできます。

    ごく稀に「私は生まれつき絶対音感を持っている!」と言い張る方と出会いますが、残念ながら現時点で「生まれつきの絶対音感」を証明する科学的根拠はありません。つまり物心がついて訓練したことを忘れているだけか、幼少期にロボトミー手術を受けて記憶が改竄されたか、単に音感マウントしたいか…まぁいずかの可能性が高いです。

    ただ、「生まれつき音感を身に付きやすい脳を持っている子」がいるのは確かです。それは遺伝によるものであったり、脳の聴覚野が発達していたり、あるいはその周波数と音名 (ドレミ…)のラベリング作業が得意だったりすると、絶対音感は身につきやすいです。そーゆう子は専用の訓練を受けなくても遊んでるうちに身についたりすることがあります。

    実はデメリットも多い絶対音感

    レッスン入会前のヒアリングの時点で、我が子に絶対音感を身に付けさせたがる親御さんを何度か見てきました。多くの方は絶対音感が音楽教育的に役に立つものだと思っているのでしょう。まぁ、確かに便利な部分があるのは否定はしません。ただ絶対音感というものがあまりにも神格化されすぎていて、デメリットに目を向けない人が多いです。一度冷静になって考えていただければ幸いです。

    冒頭で絶対音感を「比較なしで音を当てられる」と定義しましたが、これは言い換えるとあらゆる音の響き (≒空気振動という物理現象)を音名でしか判断できなくなるということです。

    実は絶対音感を身につけた人は成長する過程で、強いストレスを感じながら生活しているという例がいくつもあります。

    よくある話ですが、学校で”かえるの合唱”を覚える時、絶対音感の子供には「かーえーるーのーうーたーがー♪」の歌詞がこう聞こえます。

    ドーレーミーファーミーレードー♪

    絶対音感を持つ人の中には、楽器が音名を直接歌っているように聞こえるということがあるみたいです。つまり、ピアノから鳴っている音 (空気振動)が脳内で勝手に音名へと翻訳されてしまうのです。

    同じ理屈で、日常生活のあらゆる音が音名として耳に入ってきます。エアコンの音、キーボードを打つ音、外を走る救急車の音…全てが重なり合って美しいハーモニーになればロマンチックな話ですが、残念ながら多くの時間を不協和音を聞きながら過ごすことになります。これは想像以上のストレスです。

    ウチに通っているある生徒さんは自分が絶対音感を持っていることに長年気付いておらず、音名でメロディを覚えると低いドと高いド (オクターブ)の区別がつかなくなってしまい、オクターブをチグハグに演奏することがありました。すると、滑らかに上行するはずのメロディが株価の動きのように乱高下するという現象が起きます。(オクターブ・エラーといいます。)

    これは音感がいいことと演奏力があることに関連性がないことを示した一例だと思います。

    もちろん、ここまでに挙げた話は絶対音感保有者の全員が抱える問題ではありません。音感にも人それぞれ程度があり、ちょっとずつ違うので、生活音が全く気にならない人も中にはいます。

    自分の子供に音感を身につけさせたいと思うのであれば、もっと慎重に考えるべきです。絶対音感は一度身につけると忘れることは難しいです。それだけでなく後から相対音感が身に付きにくくなるという面もあります。それがその子にとって本当に必要かどうかは一度吟味するべきです。

    鍛えぬかれた相対音感は絶対音感に勝る

    僕は絶対音感保有者ではありませんが、1つだけ当てられる音があります。それはラの音です。これはギターの5弦に当たる音で、何度もチューニングしているうちに覚えました。

    周囲がガヤガヤしていてギターの音がよく聞こえない環境でも、ギターのボディの振動をお腹で感じて、それがラであるかどうかの確認も、一定の精度でできます。※天気の悪い日や寝不足の日はなぜか全然当たりませんが…。

    今、チューナー・アプリを開いて試しに”ラの音”を鼻歌してみたら、一発で当たりました。今日は調子の良い日のようです。

    ドの音を一発で当てることはできませんが、ラの音を基準にして鼻歌をしながら探せば、そこそこの精度でドの音を歌うことはできると思います。

    これを全ての音程で分かるように鍛錬すれば、絶対音感のデメリットを持たずに絶対音感とほぼ同じ能力を持ったといえます。つまり鍛えぬかれた相対音感保有者は、絶対音感よりも得だということです。

    ここまでの文脈でお分かりいただいてると思いますが、僕は1人の指導者として、絶対音感は別に身に付けなくても良い (持ってない人は持ってないままでOK)という立場でいます。この記事では音楽的な才能との因果関係はないことを踏まえた上で、もっと慎重になるべきという主張で書いてきました。

    もちろん、絶対音感そのものは素晴らしい能力であり、全くもって悪ではありません。ただ僕のレッスンの指針は“音楽に必要な知識“と“演奏に必要な技術“を有機的につなげていくことを重視しており、また学びの本質は「繰り返し使える知識や技術」の習得であるため、受講者に絶対音感があろうがなかろうが今のところ関係ないのです。

    そしてそれらの知識や能力はあくまでも複合的に成長/機能し、絶対音感というのはその中のほんの一部を担っているに過ぎないのです。下手をすれば飲み会で大して盛り上がらない”一発芸”で終わってしまうでしょう。もしくは神経質で生きづらい人格を形成するキッカケになってしまうかもしれません。そういったデメリットを鑑みて、意思決定ができない小さな子供にそれを強いることが、本当に必要か、その先の人生に影響があるのではないか、ということを改めてこの記事で認識していただきたいのです。

    “いきすぎた宗教”のように盲信している人もお見受けします (教育熱心なのは素敵ですが!)。この記事が考えるキッカケになり、あわよくば洗脳が解ければ良いなぁと思います。

     

    Midville’s
    中村