
魚をあげる先生と、釣りを教える先生
ギター講師の中村です。
先生の指導スタイルのあれこれについてガタガタ言います。
「飢えた人に魚を与えれば1日生きられるが、釣りを教えれば一生暮らしていける」という格言があります。この出典は『老子』と言われていますが、諸説ありまして。実は諸子百家 (老子や孔子などの古い中国の道徳思想)が結構好きなのですが、僕の記憶では『老子』の中にこの言葉はなかったように思います。いずれにしても、内容に説得力があるのは確かですね。
2つの指導
「魚を与える」という指導は本質に触れずにその都度、曲の弾き方を手取り足取り教えることだと言い換えられます。一方で「釣りを教える」ということは、音楽の仕組みそのものを指導したりその後自分でやっていくのに必要な繰り返し使える知識を与えること。
このテーマはどちらが指導者として優れているか、という話ではありません。どの視点に立つか、時と場合により魚を与えるべきか、釣りの仕方を教えるべきかを使い分ければ良いと思います。
例えば僕の場合、体験レッスンでは魚を与えます。もし自分が教わる立場だったら、これからお世話になる/ならないに関係なく”一話完結型”のレッスンをしてもらって、何かお土産をもらえるような即物的な満足感があった方が嬉しいからです。でも若い人へのレッスンや音楽そのものに強い関心のある人に対しては釣りを教えることもあります。

ゆっくりいこうぜ
学びのゴールはもちろん釣りの仕方を知ることだと思います。でも最初から釣りの話ができる人はそういません。一旦色んな魚を刺身やグリルで試してみないことには釣りに興味を持つことはありません。歴の浅い人はそれでいいと思っています。後々になって、本質的な部分が必要だと感じるはず。じゃ最初から基礎をやっておけば良かったじゃないか、と思うかもしれませんが、初めての人にはそれが分からんのです。分からんのが普通なんです。

音楽は学問である!
多くの人にとって音楽は娯楽の一種かもしれませんが、厳密には音楽は最も娯楽に近い学問であると言えます。何やら小難しい言葉ですが、そこは誰が何と言おうと音楽は学問なんです。
学問は知識だけではありません。古代において音楽は幾何学や算術、天文学と同様にアートとして扱われ、当時アートは”建設的な技術”を意味していました。つまり現代における工学や法学、医学などと同様の、実生活と密接に関わる学問として発展した背景があります。だから音楽=学問なんです。
学生時代に勉強が嫌いだった人に”学問”という言葉を使うのは気が引けますが (僕も嫌いだったけど)、もう少しかみ砕いて言うなら”繰り返し使える知識/技術の集合体”です。今回のテーマになった「釣りを教える」はまさに”繰り返し使える知識/技術の習得”と言い換えることができるんじゃないでしょうか。
繰り返し使える…という言葉に、何だかお得感がありますね。
Midville’s
中村
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中村
音楽講師 / ビートメイカー
“Finger Pickers Took Over The World” (Chet Atkins with Tommy Emmanuel)
ある師弟ギタリストのコラボ作品